下鴨神社
下鴨神社(しもがもじんじゃ)について
正式名称
賀茂御祖神社(かもみおやじんじゃ)
御祭神
賀茂建角身命(かもたけつぬみのみこと)
玉依媛命(たまよりひめのみこと)
由緒
所伝によると2千年以前に創始されたとされています。
「日本書紀」神武(じんむ)天皇2年(BC658年頃)条に御祭神賀茂建角身命を奉斎していたことが記されています。
また、崇神(すじん)天皇7年(BC90年頃)、瑞垣(みずがき)の修造が行われたという記録があります。
鴨川の下流に祀られているところから下鴨神社と通称で親しく呼ばれるようになりました。
上賀茂神社(かみがもじんじゃ)を上社(かみしゃ)、下鴨神社を下社(しもしゃ)と略称し、賀茂社(かもしゃ)と総称します。
世界遺産に登録されています。
下鴨神社の写真
糺(ただす)の森
鳥居をくぐると糺の森が広がります。
鴨川と高野川とが合流する地にあるニレ科の樹木を中心とした森です。
世界文化遺産の石碑
南口鳥居
さざれ石
楼門
舞殿
賀茂祭(葵祭)のとき勅使(ちょくし)が御祭文(ごさいもん)を奏上され東游(あずまあそび)が奉納されます。
神服殿(しんぷくでん)
夏、冬の御神服を奉製(ほうせい)する御殿です。
供御所(くごしょ)
御殿の中は東、中、西の三間に分かれています。
供御所(東の間)は神饌を調理する間です。
贄殿(にえどの)(中の間)は魚介鳥類を調理する間です。
侍所(西の間)は神官など参集し、直会(なおらい)、勧盃(かんぱい)の儀などを行う間です。
細殿御所(ほそどのごしょ)
平安時代の社殿の記録「神殿記」に細殿とある御所で、今日でも細殿と呼んでいます。
媛小松(ひめこまつ)
「媛小松」の「ひめ」は御祭神玉依媛命の御名にちなんで「媛」と記されるようになりました。
摂社 出雲井於神社(いずもいのへのじんじゃ)
摂社 三井神社
末社 言社(ことしゃ)
ネ年からイ年までの干支の社がお祀りされています。
井上社(別名御手洗社)
賀茂斎院の御禊や解斎、関白賀茂詣の解除(お祓い)のため参拝になったお社です。
井戸の井筒の上に祀られたところから、井上社と呼ばれるようになりました。
御手洗川(みたらしがわ)
土用の丑の日にこの御手洗川に足を浸し疫病や病封じを祈願する「足つけ神事」、立秋の前夜の「矢取の神事」、葵祭の「斎王代の禊の儀」をはじめ、祓の神事が執り行われるところです。
御手洗川は土用が近づくと湧き出るところから京の七不思議の一つとされ、その水疱をかたどったものがみたらし団子の発祥と伝えられています。
御手洗川にかかる輪橋
下鴨神社の御朱印
右上に押してある葉は、下鴨神社の御神紋で「カモアオイ」(双葉葵、賀茂葵)という植物です。
昔は「あふひ」と書き「あふ」は「会う」、「ひ」は神様のお力を示す言葉であり、大きな力に巡りあうという意味の植物の「あふひ=葵」で示しています。
下鴨神社の所在地
(下鴨神社内の説明文、『由緒書』より参照)