福知山城
福知山城(ふくちやまじょう)について
福知山城は中世(室町時代)に 塩見頼勝が築城したのが始まりと言われています。
後に息子の塩見信房が城主となり、横山城となりました。
天正(てんしょう)7年(1579年)、塩見信房を倒した明智光秀(あけちみつひで)は横山城を福知山城と改名し大修築を行いました。
福知山は明智光秀が城下町の整備に着手したことで始まったと伝えられて、福知山は明智光秀(あけちみつひで)ゆかりのまちとして知られています。
明治6年(1873年)、廃城令により本丸・二の丸の建物が取り壊され、堀も埋められ、天守閣周辺の石垣しか残されていませんでした。
昭和61年(1986年)、市民の熱い想いで天守閣が再建されました。
福知山城の写真
天守閣からの眺め
銅門(あかがねもん)番所
この建物は福知山城の銅門の脇(市役所の東)にあった番所です。
大正時代の初めに天守台に移築され、昭和59年(1984年)に天守閣再建に伴い現在地に移築されました。
福知山城天守閣復元鯱瓦
原寸大復元したものです。
高さ150㎝、基部縦80㎝、横45㎝
豊磐井(とよいわのい)
福知山藩主朽木(くつき)氏初代植昌(たねまさ)の父である稙綱(たねつな)の神号「豊磐稙綱彦命」にちなんだものです。
井戸の深さは50m(城郭本丸内の井戸としては日本一の深さ)
海抜は約43mで、井戸の底は由良川の河床よりも深く、海面下7mに達しています。
朝暉(あさひ)神社
朽木稙綱をお祀りしています。
(福知山城の説明文より参照)
福知山城の所在地