長岡天満宮
長岡天満宮(ながおかてんまんぐう)について
御祭神
菅原道真(すがわらのみちざね)公
由緒
山城国乙訓郡長岡の地は菅原道真公が在原業平(ありわらのなりひら)と共にしばしば遊んで詩歌管絃を楽しまれたところです。
道真公が大宰府に左遷される時に、立ち寄り「吾が魂、長くこの地に留まるべし」と名残りを惜しまれました。
没後、道真公自作の木像を祀ったのが創立です。
その後、皇室の崇敬篤く、元和(げんな)3年(1617年)、八條宮の御領地となりました。
寛永(かんえい)15年(1638年)、参道をはさんで南北に広がり、八條ヶ池が築造されました。
(『長岡天満宮の由緒書』より参照)
長岡天満宮の写真
正面の大鳥居
石の大鳥居で、高さ9.75m。
拝殿
神牛像
道真公は承和(じょうわ)12年(845年)丑年生まれ。
茸狩りの宴の時、どこからともなく子牛が宴席近くに来て、頭を垂れて道真公を敬うかの様子に大変喜び館に連れて帰り可愛がりました。
大宰府に左遷の時、刺客に襲われましたが荒れ狂った白牛がきて命を守りました。
よく見るとその牛は都で育てていた牛でした。
大宰府で没後、遺骸を乗せた車をひいていた牛が途中で突然ひれ伏して動かなくなり、そこを墓所とし、現在の太宰府天満宮はその地に建てられました。
このようなことから牛は御神使となりました。
九州南部の霧島山にちなんで名付けられました。
高さは2.5~3メートル。
樹齢は100~150年位と推定され、約100株が植わっています。
長岡京市の天然記念物に指定されています。
八條ヶ池
長岡天満宮の御朱印
長岡天満宮の所在地