文子天満宮
文子天満宮(あやこてんまんぐう)について
御祭神
菅原道真(すがわらみちざね)公
文子比売(あやこひめ)(菅公御乳母)
伴氏(ともうじ)(菅公御母君)
是善(これよし)公(菅公御父君)
由緒
延喜(えんぎ)元年(901年)、菅原道真公が太宰府へ左遷の途中、道真公の乳母 多治比文子(たじひあやこ)に形見として、道真公自身で彫った神像を授与しました。
多治比文子は庭に小さな祠を造り、神像をお祀りしたのが始まりです。
延喜3年(903年)、道真公の死後、天候不順や政治経済の混乱などが続き、人々は道真公の怨霊のたたりと考え、道真公の霊を祀る天神信仰が起こりました。
天慶(てんぎょう)5年(942年)、多治比文子に天神となった菅原道真公より右近の馬場(うこんのばば)(今の北野天満宮)に祀ってほしいというお告げがありました。
天暦(てんりゃく)元年(947年)、多治比文子は北野の地にお祀りしたのが北野天満宮の創建です。
菅原道真公を天神として一番最初にお祀りしたので天神信仰発祥の神社とされ、北野天満宮の前身神社と言われています。
(「文子天満宮のしおり」より参照)
文子天満宮の写真
(撮影日:2018年1月27日)
本殿
多治比文子の像
菅原道真公の乳母です。
文子殿
腰掛石
菅原道真公が太宰府へ左遷の途中、立ち寄った際に腰掛けられました。
文子天満宮の御朱印
文子天満宮の所在地
〒600-8184 京都市下京区間ノ町通花屋町下る天神町400